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ブログは妄想上では週一更新。

「ワイドナショー」でやっていた妄想席替え。

もしも自分の好きな女性有名人だらけのクラスで席替えしたら、どこに座るかを妄想&シミュレーションするものだ。

五十手前ではございますが、現時点で同級生になりたい有名人のクラスで席順を作ってみた。

青が男子だ。女子の数が男子の二倍だ。

妄想席替え


このクラスの自分的一番人気は、深田恭子だと思っている。
平均年齢40以上のクラスなのだ。

恭子はあえて難しい席に置いてみた。

深田恭子と話せる席は2か3だ。
そこに「話は合うけど付き合うのは微妙」な島崎和歌子が立ちはだかっている。

しかし、和歌子のことは嫌いじゃない。
「お互い60歳まで独身だったら結婚しようか」ぐらいの話は同窓会後にするかもしれない。

和歌子がクッションになり、普通の話を3人ですることもあるかもしれない。

だとしても、深田恭子は同じクラスの男子を気にしない。
他校の男子と付き合っているのだ。

教師がシンディ・ローパーということに触れていなかった。
英語と音楽を兼ねた教師という設定だ。
音楽にクセが強い。
単純に人というより「ニンゲン」として好きなシンディ・ローパーにするか、熟女として好きな黒木瞳にするか迷った結果、先生はシンディ・ローパーにした。
いろいろ自由そうだからだ。
卒業式には「タイム・アフター・タイム」を歌ってくれる。

そこで違う角度から男子の人気を集めるのが、みひろだ。

みひろと仲良くなるなら4、6、7だ。

6番は隣に森高がいる。

私がオバさんになってもと歌っておきながら、その気配を見せない千里なのだ。

そして7番の隣には橋本環奈。

落ち着けない。

橋本環奈は、おっさんを相手にしないのはわかっている。

黒木瞳と橋本環奈が出て来たせいで夜間学校の設定が否めない。


そんな中で、「小泉今日子って話しづらそうで意外と話し易いよね」となるに違いない。


文化系は格闘家のRENAと何を話せばいいのかわからないが、飛び越えて壇蜜と話したい。
そうなると8番しかない。
後ろには3時のヒロインがいるので、お笑いの話も出来るだろう。


しかし、結局おっさんの僕が気になるのは、「めざましテレビ」のかやちゃんだ。

余った給食のゼリーとかで、ただただジャンケンをしているだけで好きになってしまう。


だとすれば深田恭子や森高千里は遠い存在として諦めて5番でもいいのだが、滝沢カレンが「この漢字なんて読むの?」といちいち聞いてきそうで、カレンのことも勝手に好きになってしまいそうである。


そこで、8番か5番か迷ったが、話しやすい女子+かやちゃんという結果、川田、カレン、アリス、弘中の天然に囲まれた5番に座ることにした。


自分で作ったのに、大変な妄想だった。




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鹿児島の実家で些細な介護とスマホ向けゲーム企画をしているが、「テレワーク」をすることがある。

web会議の場合、基本的には画面はいらないんじゃないかと思い、仲の知れた人には画面を消すようにしている。

誰かweb会議で見慣れた顔を映す理由を教えて欲しい。


そんな様子を見た母鈴子(仮名)が知人に電話する時、僕のことを話すのを耳にする。


母「息子が帰って来ていてねえ。パソコンで仕事をしているの。今流行ってるでしょ?あれで仕事してるのよ。テイクアウト」

そのまま知人と話が進んでいた。

「テ」しか合ってねえ。

どうやら僕は、この田舎でウーバーイーツをやっていることになっているようだ。



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新型コロナの影響でコンビニのレジも手渡しでお金を渡すのをやめてトレーで出すようになった。

昭和、平成の時代であれば手渡しで可愛い子にお釣りを渡されるだけで好きになった男達もいた。

その時、好きになるきっかけの渡し方は、両手で包む感じである。

それで好きになってしまう。

おかしな感覚が純粋さの屈折した男子にはあった。

しかし、その気持ち、今でもわかる。


でもコロナの流行った今では、手渡しで渡されるのを怒るお客もいるし、店員さんも手で渡したくない。

一年前、一月会わなかっただけで「久しぶりー」と握手を求めてくるのは、大概イケてる企業の社長だった。

海外では何かのきっかけに握手するのは頻繁にあるだろうが、日本で握手を求めてくる人は「握手を求めてくる方に抗えないパワーがある人」が多かった。

昭和世代の僕からすれば、フォークダンスで同級生の女子と手を繋ぐ・・・と言っても指先だけ摘まんでいるような感じですらドキドキしていたので、大人になって同性でも握手は何か照れくさかった。


僕だけじゃないだろうが、人と手を繋ぐことは特別だった。


僕からすれば手を繋ぐ関係性のカップルは、「深い関係にある」と思う。
1、2回デートした仲ではない。

手が後。だ。
(僕の順番が今までおかしかったのか?)


手を繋ぐだけの小説風写真集の企画を立てたこともあった。

手にはパワーがあり、手には聖域があり、繋ぎ方でストーリー性もあるように思っていた。

手を繋ぐことにいろんな意味があった。


今この時、他人の手に触れることはない。

漫才ですら相方にドツキさえも出来ない。


コロナが終息した時。
人と触れ合うことに何かしらの危機感を抱いたままの感覚を維持しないでいて欲しいと思う。
特に植え付けられ易い3,4歳の子どもとその親に。


もちろん今は他人との物理的な距離が必要だが。
精神的距離の自分なりの取り方の表現は変わらないでいて欲しい。


ちなみに僕は思春期の娘や嫁とはもう何年も手を繋いでいない。



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