3月11日が来る度に日本人の多くの人は、あの日を思い出さずにいられないと思います。

思い出したくないも語りたくもない人もいるでしょうが、意外と平和だった関東目線であの時のことを思い出してみました。

あの日、娘を心配して4時間かけて歩いて帰ったことは昨年のブログに書いたので、今日はその後一週間の話をします。


当時僕はガラケーのソシャゲを運営していました。

ソシャゲ運営者なら誰でも経験することですが、盆、正月関係なし。何かあったらすぐ対応。というのが運営側の鉄則の姿勢です。

僕なんか1月1日、年が明けて30分後に社用携帯に電話がかかり、上司から「ログインボーナスでバグがあるんだけど」という電話をもらったりしてましたからね。

新年早々、もらったメッセージが「明けましておめでとう」ではなく、それかよと。


そんな解放される時間のないソシャゲ運営ですが、震災の日はさすがにそれどころではありませんでした。

あの日は金曜日でした。
通常ならイベントをやってたりしますが、逆に「週末イベントだぜ、うぇーい(おまえら寄付より課金しろ)」なんてことをしたらユーザーの反感を買うに決まっています。

会社の方針もあり、震災以降3月中はソシャゲのイベントは中止となりました。


そして、自宅待機という名の一週間の休みをもらったのでした。

不謹慎かもしれませんが、静寂とした平穏な日々でした。


震災から10日後の月曜日。
再び出社して、ユーザー動向を見たのですが、意外でしたね。

あの時僕は、今最も必要がないのはソシャゲだと思っていました。

こんな時に形にならないものにお金を使う意味がないと。


でもユーザー動向を見ると、震災当日はさすがにアクティブユーザー数は減ったのですが、翌日以降はイベントを打ったかのような伸びでした。

テレビは「ぽぽぽーん」で見るものがない中、同じように自宅待機していた大人達にとって心の拠り所がソシャゲだったのかもしれません。


「待機」というじっとする状況の中で、ついつい触ってしまうのがケイタイであり、ついついやってしまうのがソシャゲなんだなと実感しました。

それは震災だからではなく、待ち合わせ、電車の中、仕事の空き時間など「じっとする」という日常の行為にこの感覚が入り込んでいると思います。


隙間を埋めるソシャゲ。。。

本来ゲームは心の隙間を埋めてくれてきました。

それを「ゲームが埋めてどうする」という人もいるのでしょうが、「とりあえずゲームでもいいんじゃね?」というのが、あの日を経ての今の感覚でしょうか。