バブルが弾けた後のお話です。

僕が就活の時、リクルート雑誌で、
「『○肉○食』という穴埋め問題に 『焼肉定食』と書く学生でいてほしい」
みたいなことを書いている企業がありました。

「ゆっるいなー。こういう会社いいなー」と思って説明会に応募しました。

あの時既に20社ぐらい落ちていたので、かなり後の方での参加だったと思います。

それが、当時の「ナムコ」でした。


当時ナムコが面白かったのは、最初から職種別採用をしていたこと。

20歳まで漫画家になりたかった僕は、サラリーマンになったとしても、モノ作りをしたかったので「企画職」で応募しました。

最初から企画職で応募できることを「ラッキー」と思っていました。

しかし、当時僕の家には家庭用ゲーム機は一台もなかった。

でも「ギャラクシアン」「ディグダグ」「ラリーX」「パックマン」などは、ゲーセンで散々遊んだゲームでした。


ナムコの入社試験では、筆記試験を通って一次面接へ進みました。

その一次面接の案内資料では、
「ゲーム企画を作ってプレゼンをしてください。資料や制作物を持ってきても構いません」
と書いていました。


あの頃は、「プレゼン」なんて言葉が浸透していない時代です。

「プレゼンって何よ。『ト』が抜けてないか?」と普通に思ってました。


まだインターネットもない時代です。

書店で「企画書の書き方」みたいな本を見つけて、「プレゼンとは自分のアイデアを提案すること」だと知りました。

著者が、その本にこう書いていたのを覚えています。

「僕は日本に100人のプランナーを作りたい」

今では100万人以上が企画職に関わっているはずです。

当時はそれぐらい「プランナー」という職種が浸透しておらず、「企画」だけの部署が存在しない時代でした。


一次面接で、初めて書いた10枚ほどの企画資料を持ってプレゼンしました。

今思えば紙をめくりながらプレゼンしている姿は、フリップ芸だったと思います。


僕が企画したゲームの中に「クモ男 武田」というキャラがいました。

面接官に聞かれました。

「なぜ、『武田』なんですか?」

そこで僕は答えました。

「吉田じゃ弱そうなので」


今思えば、「どんな返しだよ!」なんですが、面接官の中に「吉田さん」がいたのでした。

しかし、それが笑いになったのが良かったのか、一次面接は通過しました。


この会社に行きたいと真剣に思い、二次面接の役員面接へ。

緊張したことだけ覚えています。

3日後ぐらいに内定の電話をナムコからもらった時は、一人部屋で「エイドリアーーーーン」状態でした。

7月の夕暮れ時でした。

ビールを買って一人で祝杯しました。


僕は、今で言うUFOキャッチャーみたいな機械を使った、カップルやグループや親子が楽しむゲームの部署の企画職に配属されました。

当時1年目から企画を出させてもらえるというのは、珍しかったと思います。

ノルマのようなものがあり、週に10個近いペラ一の企画を出して先輩社員にダメ出しをくらうというのが、最初の仕事でした。

その研修企画の中から、僕のデビュー作になる「アブノーマルチェック」という診断ゲームが生まれたりしました。


企画内容には厳しくても、この「焼肉定食」の会社は想像以上にゆるかった。

三ヶ月過ぎれば新人でもフレックスタイム適用。

私服で会社や打ち合わせ先に行く。(短パンとサンダルはNGでした)

強者な先輩になると、「業者直行」を理由に夕方4時に毎日出社。

仕事ではないのにオリジナルモデルガンを会社で作る職人。

試作室を自分の部屋に改造する先輩。

プレステ1を改造してモニター付きのポータブルプレステを作ってしまった東大出の先輩。

メカから電気まで一人ですべてをこなす50代のスキンヘッドのおじさん。

僕ら新人の昼休みは、試作品の「エース・ドライバー」でレース対決。


ひよこの法則で、最初に入った会社がこんな感じだったんで、「会社員って楽しいものだな」と思っていたのですが、
当時他の企業に勤めている友人に話すと、「それはおかしい」と皆が言っていました。


あの頃、ナムコ社員は会社にいるのが楽しかったと思います。

そんな社風を作ったのは、創業者の中村社長でした。

80年代に数々の名作が生まれたのは、途中で開発を中止させる管理職がいない状態で、クリエイター達が好きにものを作っていたからです。


あの頃、試作品を作っている時に僕も感じていました。

「文化祭のノリでモノを作ってるなあ」と。

みんながゲーム作りを楽しんでいました。

でも作った試作品を中村社長に見てもらう時だけは、皆ぴりぴりびくびくと緊張したものです。


当時のナムコ社員全員が知っている言葉があります。

毎年社員全員に渡される黒い表紙の「ナムコ手帳」に書かれている言葉。

あの時のナムコ社員が、今も大事にすべき言葉だと思います。


「知好楽」


「これを知る者は、これを好む者に如かず、これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」

知っているだけで仕事をしている人は、好きで仕事をしている人にはかなわない。

好きで仕事をしている人は、楽しんで仕事をしている人にはかなわない。

そんな論語です。


ナムコという会社は、株主を意識しながらも「お金」以上に「楽しさ」を優先していた会社だったと思います。

そんな思いに社員やユーザーが、「ナムコ」に集まったのでしょう。


このブログを上げるのに数日かかってしまいました。

中村社長は、天国でも遊びをクリエイトしているのでしょうか。

月並みな言葉でしかないのですが、ご冥福をお祈りいたします。