どうも。毎度おなじみミランダ・カーです。

先日、中3娘の卒業式でした。

まあ汚れた僕でも、卒業生の「別れの言葉」の中で、
「未来は希望に溢れています」だとか、
「未来は自分で創ることができます」とか娘と同じ歳の子の言葉を聞いて、
「あーそだったわー」と昔を思い出したりして、心が洗われたり、悔い改めたりさせられるのです。


いつから大人は、自分に制限をかけるようになるのでしょう。


そんな娘の卒業式で、自分もあの頃、壮大な夢があったことを思い出しました。

「いつか有名になって『笑っていいとも!』か『徹子の部屋』に出たい」


そんな夢を思い出したところ、
まだ「徹子の部屋」が存在しとる!


しかもまだ徹子さん、生きてるし!

まだ間に合うかも!


そんな、いろんな意味で感動的な日でしたが、昭和の卒業式と今も変わらぬ形で「卒業式」が存在するのだと感じました。



そんな今もある「卒業式あるある」、いってみましょう。

・親や在校生が卒業生入場の時から泣いている

・議員みたいな人が喋る

・体育館が寒い

・校長先生の話や生徒のスピーチの出だしが、「春の訪れ」を感じっぱなし

・そんな春の例えが、「温かい風が頬を撫でがち」

・入学式で緊張したことを振り返りがち

・「在校生の贈る言葉」が3年生の偉大さを語りがち

・廊下に貼られる祝電がスルーされがち

・もう「贈る言葉」は歌われない


最後は、「尾崎豊の『卒業』を卒業式で歌われるのを見たことがない」。