先週「ハイパーカジュアル」という無料のアプリがごくごく一部でさんざん儲かっている話を書きましたが、それは、これまでの僕がやろうとしてなかったことであったりします。

「奇をてらっていない」ことをあまりしてきませんでした。

もうさんざん奇をてらってほぼほぼコケたり、稀に当たったりしてきて、ちょっと少し当たったぐらいで調子に乗ってきました。

そんな中で、大衆心理に目を向けるべきじゃないのかと今さら思い始めた中での「ハイパーカジュアル」です。

まずは、無料アプリで何故お金が入るのかからですが、それは民放のテレビやYouTubeと一緒でCMが入るからです。

アプリでいえばバナー広告や一画面いっぱいに出る動画広告のことです。

それを見させられたり、タップしたりすることでパブリッシャーにお金が入ります。

広告出稿者もそれで購入動機に繋がる顧客が生まれて利益に繋がります。


そんな「CM」でお金を得るアプリを世界中で通じるように発信するアプリが、「ハイパーカジュアルアプリ」と言っていいのではないでしょうか。


しかし、「世界中」というところに「定義」が生まれます。

例えば「日本国内でオタクにウケそうなコンテンツ」というのは、ある程度想像がつくかもしれない。

でも「世界中で通じるコンテンツ」となると、文化も宗教も違う中で、いろんな円が重なり合う部分を探さなければいけない。

そのため、「ハイパーカジュアル」という世界は、逆に「奇をてらわない」です。

つい最近まで「キミへの復活の呪文」という、奇をてらいすぎるアプリを作っていた僕とは真逆なのですが、逆に真逆が今さら面白いと思ったり。


そこで、ハイパーカジュアルとして世界中でウケるための定義を「僕なり」にパブリッシャーさんとの話の中で学んできたことを簡単にまとめます。


その1.キャラ付けしない
例えば、中国でウケるイラストとか、アメコミ風でウケるイラストとか、日本のオタク向けのイラストとか、それぞれどこの国のデザインか絵を見て雰囲気で分かると思います。
それを出さず、のっぺらぼうな棒人間キャラか簡単な線画、むしろ四角や丸や数字だけとかの方が世界で広く通じたりします。

それは、好き嫌いの判断をしないものだから。


その2.世界の人が通る教育のレベルでわかるルールであること
「チュートリアル」という「手慣れ」させる仕組みが多くのゲームに取り入れられていますが、それさえもいらないゲームであるべきで、チュートリアルがあっても30秒以内に遊んでいたらゲームのルールがわかるものでなければなりません。
しかもルールを覚えながらハマっていくという。

なので、物理的(重力系)なものや足し算的なものや危険なものから避けるものなど、人として生まれてきて小一ぐらいには根付いている世界共通の心理的行動を促すものであるべきです。

犬がしつけを教わる前にハマっていくような感覚が理想です。


その3.楽しさと悔しさと心強さと
「気持ちいい!」と「あと少しだったのに!」という感覚が継続要素に繋がります。
そして、「もう一回チャレンジしよう」という「心強さ」を誘うことも。

出始めの篠原涼子感覚がハイパーカジュアルには必要なのです。
それが継続性に続き、たくさん広告を見るきっかけになります。

広告表示が全インストールされたアプリを合計して数百万回とかになれば億単位のお金が入るという世界です。



ゲーム会社に長年いて思ったことで、「何故今のゲームにユーザーの住み分けが生まれたか」というのは、
ゲーマーがゲームを作りがちだからかなと思ったりします。

ゲームが難しくなりすぎていく中で、ゲームに離れていく人が増えていった。

そこで出て来たのが、モバゲーやGREEのガラケーポチポチのソーシャルゲームです。

そして今また、スマホのゲームが課金主義やプレイ技術主義になっていく中で、
ハイパーカジュアルはあえてその逆をいっています。

ゲームが難しくなることは、ゲーマーへの中毒性を生み、ハマる人はハマります。
パチンコと一緒で、それはそれで大きなお金を生むのでしょう。

そんな世界もある中で、隙間か王道かはまだわかりませんが、空いた時間をいい具合に埋めるものがスマホの「ハイパーカジュアル」ではないのでしょうか。


今日も今さら宣伝ですが、数年前に僕が書いた本。
こんなブログの感じでソシャゲ業界の裏側を書いています。
pazudora