鹿児島で非常勤講師をしているゲームの専門学校の卒業式だった。
久しぶりにスーツを着たら虫が喰っていた。
革靴を実家に持って来てなかったので、父親の革靴を履いて行った。
ほぼ体型が父親と一緒なのだ。
ほぼ体型が父親と一緒なのだ。
靴の中敷きに名字が書いてある。
母親に「なんでもかんでも名前を書くなよ・・・」と言うと、
母「お父さんが飲み屋に行った時に新品の革靴で行ったのに、他の人に履いて帰られて、おんぼろの他人の革靴で帰って来たから、それから名前を書くようになったのよ」
母「お父さんが飲み屋に行った時に新品の革靴で行ったのに、他の人に履いて帰られて、おんぼろの他人の革靴で帰って来たから、それから名前を書くようになったのよ」
と。
それから傘や下着にも名前を書くようになった。
その靴を履いて1時間に2本ぐらいの電車に乗って鹿児島市内に行ったところ、鹿児島中央駅付近で靴底がぱかぱか言い出した。
かかとのクツ底ゴム部とクツ本体部が乖離しているのである。
とりあえずぱかぱかを抑え気味に歩いていると一瞬身が軽くなった。
と、共に数センチ身長が下がった。
数歩歩いて違和感を感じて振り返ると、そこには靴底があった。
「あなたが落としたのは、この黒い靴底ですか?それとも金の靴底ですか?」
「黒いのに決まってんじゃねーか」
とばかりに慌ててゴムの靴底を拾ってバッグに入れて逃げるように近くのコンビニへ。
片方の靴底がなくても周りにはバレない。
駅前なのでコンビニがすぐあった。
強力接着剤を買う。
こっそり付ける。
そして卒業式へ。
さて。
「卒業」というものは、高校の卒業式がピークで、大学や専門学校の卒業式はあっけない。
「就職」するための「通過点」でしかない大学や専門学校の卒業式は、会社での入社式が本当の「卒業式」なのかもしれない。
何になるかわからないまま、いろんな人間が集まっていた高校時代には、社会人にある「仕事」中心では出逢えない出逢いがあって、そこに浅く混沌として甘く薄い生き方があり、弱さの中に甘酸っぱさもあったりして、それは大人というものになって社会というものに入ってしまえば消えてしまう時間だった。
一つの校舎、一つのクラスに集まっていた人達がそれぞれに散っていくのが高校時代だった。
それはもう三十年近く前の話だ。
高校の卒業が、本当の意味での卒業だったかもしれない。
大学の卒業式を思い出そうとした。
あの日、昼間に何をしたか覚えていない。
「追いコン(追い出しコンパ)」をサークルの後輩達がしてくれたことは覚えている。
朝まで飲んで帰りの新宿駅の改札で後輩達に胴上げされた。
そして朝日が昇る帰りの小田急線で、吉田という男の後輩が泣いていたのを思い出した。
何故か男だけの小田急線組の最後はみんな無言だった。
あの時僕は、別れの悲しさよりも新しい環境へのわくわくの方が大きかった。
コロナ禍の今、関わった専門学校の卒業式は短く最小限の人数で行われた。
ただ、開かれただけでもありがたい。
泣く人はいない。
それぞれが社会人になっていく様が清々しかった。
僕は、学生という肩書きを卒業した時、自由になれる気がした。
やりたいことが出来るような気がした。
同じようなことを生徒達も考えているかもしれない。
・・・ただ、よくよく考えれば社会人って、いろいろ背負ったり考えすぎたり惑ったりすると、不自由でしかないのな。
これは、与えられた環境の中で体験しない限り教えられることではないなと思った。
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