2019年12月

令和元年ももう終わるので久しぶりにブログを上げようかと。

令和元年は自分にひたすらツッコミを入れる年でした。

20歳以降、人生で一番スベっていました。

何も誰にも与えていなかったかもしれません。

むしろ奪っていました。

アホになりきれる人は人としての力強さがある人だと思います。

僕も「こいつ、変わってんだよ」とこれまで何人かに言われてきましたが、いろいろ悔やむ自分が「普通」だなと思ったりしています。

今何が出来るのか。

そんなことを考える必要があるのかと問われれば、自分にとっては「ある」から生きていくのがややこしい。

今日は母方の祖父の命日で、実家では家に線香をあげています。

40歳ぐらいから線香の匂いが好きになりました。

今家の中では線香の香りが昼飯時に漂っています。

午前中に地元のスーパーで母に頼まれたものを買い物に行くと、ポイントが貯まっていて500円のサービス券が出て来ました。

先月まで入院していた父は普通にご飯を食べています。

父の介護をしつつも母親からは笑い声が聞こえてきます。

明日は僕が「ガキの使い」を観て、母親は寝室で「紅白歌合戦」を観る、そんな夜になると思います。

2020年の「普通」の大晦日イヴでした。



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先日久しぶり木場くんから吉報がありました。

木場くんというは、ちょくちょくこのブログで離婚記録から婚活記録を書いてきた人物です。

元嫁の実家にストリートビューで訪問したり、
婚活サイトで知り合ったロシア美女から日本に渡航する費用を出してくれと言われたりしてきた平成の寅さんです。


そんな木場くんが、「この間、変態な女に会った」と言うのです。

木場くんも十分変態なんですが、その木場くんが言うんだから間違いないでしょう。


そんな女子との出逢いはナンパらしい。
「俺、上野駅で声かけたと思うんだけど、そうじゃないって言うんだよね」

上野で飲んでいた木場くん。帰り際にナンパした記憶がうっすらあるとのこと。

しかし、彼女は「そうじゃない」と言っているらしいのです。

結局は「酔っていたからどこでナンパしたかわからない」と木場くん。

その彼女。彼氏はいないのに軽く付き合っている男友達(オブラートに包む)は5人ほどいるみたいで、
木場くん、「俺もその1人になれるかも」と自信あり気でした。


木場くん、とりあえずLINE交換はしているみたいで、今度会う約束をしたのでした。

普通2回目は外で会うだろうと思うでしょうが、会ってから約一月後に会う約束が、
「木場くんの家で飲む」

流れ的に彼女からそう進めたらしい。

強いカードをあっさり出す女だ。

それが今日なのです。

金曜の夜ではないか。

ヤバい。木場くんにモテ期が来ているかもしれない。

僕は、「鍋しなよ」と勧めておきました。

まずは二人でカートを押しながら買い物にいくことが、大事な序章です。

そんな木場くんの今夜はどんな夜になるのでしょう。



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ひっそり久しぶりにあげる。

今や令和の時代で、令和元年の流行語大賞なるものも発表されたわけですけども。
そんな中で高2の娘の部屋の本棚に「1980年大百科」なるものを見つけました。

僕が忍ばせたわけですが。

そんな中で昭和の時代を振り返る本を見ると、「ちびっこ」という言葉の響きの心地よさに感慨ふける自分がいるわけです。

鹿児島の僕の叔父が、「ちびっこ達」のことを方言で「ちんこんし」と言っていたのを思い出しましたが、それも踏まえて小学生を「小さい子ども」と称し、「ち」の後に「び」や「ん」を入れることで「ちびっこ」「ちんこ」と言ってしまう昭和のセンスに今さら心が打たれます。

半世紀前は小学生は皆「ちびっこ」でした。
今では170センチを超える小学生も珍しくないですが、当時はそんな希有な小学生は教師から「おまえはもう生えちょっとか?(生えているのか)」とセクハラまがいのことを言われたものです。

「ちびっこ」の規定から外れると「毛が生えている」という固定観念を大人達が持っていたのですが、あながち間違っていないようにも思います。

もし今SNSをやっている小学生が「ちびっこ」と呼ばれる環境にいるなら、ワイドショーで採り上げられる事件などより重大さを増すでしょう。

あの頃、キン肉マン消しゴムを交換するために知らない大人が介入することはありませんでした。

しかし、令和の子ども達は違います。

だから、いっそ思うんですね。

小学生はみんな「ちびっこ」と呼べばマイルドになるんじゃないかと。

「小学生女子児童」ではなく、「小学六年生のちびっこがSNSで知らない男性と知り合い・・・」というニュースであれば、「ちびっこ」という表現が大人をもっと敏感にさせるはずです。

なに!ちびっこがSNSを!!

と、もっとこの事実を非現実的な社会現象だと思うはず。

「ちびっこ」という言葉には社会に心が剥かれていない無邪気さや清らかさがあるように思います。

子どもを年齢や容姿や家庭環境で言葉にすることはマスコミの目線ではないでしょうか。

「子どもは子ども」、よって「ちびっこ」。

子どもがちびっこであれば、再び日本の子ども達は汚れずに済む。

「ちびっこ」という響きに突然興味を示した話でした。




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