2020年04月

鹿児島の実家で些細な介護とスマホ向けゲーム企画をしているが、「テレワーク」をすることがある。

web会議の場合、基本的には画面はいらないんじゃないかと思い、仲の知れた人には画面を消すようにしている。

誰かweb会議で見慣れた顔を映す理由を教えて欲しい。


そんな様子を見た母鈴子(仮名)が知人に電話する時、僕のことを話すのを耳にする。


母「息子が帰って来ていてねえ。パソコンで仕事をしているの。今流行ってるでしょ?あれで仕事してるのよ。テイクアウト」

そのまま知人と話が進んでいた。

「テ」しか合ってねえ。

どうやら僕は、この田舎でウーバーイーツをやっていることになっているようだ。



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新型コロナの影響でコンビニのレジも手渡しでお金を渡すのをやめてトレーで出すようになった。

昭和、平成の時代であれば手渡しで可愛い子にお釣りを渡されるだけで好きになった男達もいた。

その時、好きになるきっかけの渡し方は、両手で包む感じである。

それで好きになってしまう。

おかしな感覚が純粋さの屈折した男子にはあった。

しかし、その気持ち、今でもわかる。


でもコロナの流行った今では、手渡しで渡されるのを怒るお客もいるし、店員さんも手で渡したくない。

一年前、一月会わなかっただけで「久しぶりー」と握手を求めてくるのは、大概イケてる企業の社長だった。

海外では何かのきっかけに握手するのは頻繁にあるだろうが、日本で握手を求めてくる人は「握手を求めてくる方に抗えないパワーがある人」が多かった。

昭和世代の僕からすれば、フォークダンスで同級生の女子と手を繋ぐ・・・と言っても指先だけ摘まんでいるような感じですらドキドキしていたので、大人になって同性でも握手は何か照れくさかった。


僕だけじゃないだろうが、人と手を繋ぐことは特別だった。


僕からすれば手を繋ぐ関係性のカップルは、「深い関係にある」と思う。
1、2回デートした仲ではない。

手が後。だ。
(僕の順番が今までおかしかったのか?)


手を繋ぐだけの小説風写真集の企画を立てたこともあった。

手にはパワーがあり、手には聖域があり、繋ぎ方でストーリー性もあるように思っていた。

手を繋ぐことにいろんな意味があった。


今この時、他人の手に触れることはない。

漫才ですら相方にドツキさえも出来ない。


コロナが終息した時。
人と触れ合うことに何かしらの危機感を抱いたままの感覚を維持しないでいて欲しいと思う。
特に植え付けられ易い3,4歳の子どもとその親に。


もちろん今は他人との物理的な距離が必要だが。
精神的距離の自分なりの取り方の表現は変わらないでいて欲しい。


ちなみに僕は思春期の娘や嫁とはもう何年も手を繋いでいない。



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20年前に飲み仲間だったミドガーと呼ばれている女がいる。

そのミドガーがやたらと自撮り写真をfacebookにアップするので、コメントを書いていたら「写真で一言」になっていった。

最近ではミドガーの更新報告の告知も届くようになった。

モザイクなしでブログに上げていいかと聞いたら、いいそうだ。

そこで誰も求めていないミドガーの本人的にイケてるfacebookページを載せることにした。


これは、あのワニが死んでから一週間ぐらいしてからの写真である。

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そのうち自撮りでウインクしている写真をアップしだした。

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ただ、それだけの僕のコメント。

時には、4コマ風の写真もアップする。

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最初の一コマ目が別れを予感していて切ない。


そのミドガーは、本日誕生日だそうだ。
facebookで知ってしまった。

一応、「おめでとう」と書くと、ミドガーは20歳の頃の写真をfacebookに上げてきた。

びっくりした。
すごいインパクトだ。

20でこれだ。

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柴田理恵とハリセンボン春菜の20の頃を超えた気がする。

何か大きな事件に巻き込まれた感がハンパない。

超能力者が捜索に出てくるパターンだ。

それが今こうである。
猟奇的な感じはするが、少しはまともになったのか。

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